ありがとう。

願いが叶うなら、また1日、ミイと一緒に過ごしたい。
一緒に目を覚まして、ちゅーるをあげて喜ぶ猫を見て、うたた寝して、寝ている猫にちょっかいをかけて鬱陶しがられて、毛繕いをする猫や窓の外を眺める美しい猫の姿を写真に収めて、夜にはぎゅっとして迷惑そうな顔をした猫に頬をスリスリしたいな。いつもふと横を見ると、猫がいる。
そしてまた明日もこんな日が来ることを当たり前だと、疑わずに眠りたい。

私が小学4年生の時に、ミイを拾った。公園でダンボールに捨てられ、男の子に虐められていたところを友達と助けた。「なんでも買い取ります」と書いてある近所のリサイクルショップに連れて行ったが、当然「猫は買い取れないねえ」と言われてしまった。
その日は雨が降っていた。梅雨の時期だった。どうしようも無く、うちに連れて帰った。母親はこんな小さな子猫を雨の中追い返す訳にもいかないと飼うことを許してくれた。祖母が作ったねこまんまをそれはそれは美味しそうに食べた。その日のうちにゲージやご飯、全て揃えてすっかりうちの子になった。とても可愛い子猫だった。翌日には病院に連れて行き、寄生虫にやられていたようだが、薬を貰ってすぐに良くなった。それからほとんど病気知らずの元気な猫だった。20歳越えの化け猫も夢じゃないなあなんて家族で話をしていた。

小学生、中学生、高校生、大学生、社会人…ずっと一緒だった。ミイは家猫で外は怖がって一切出て行かなかったので、家の主のようになっていた。成長と共にどんどん生意気になり、最初の可愛さ100%の子猫ちゃんの面影は無くなっていた。噛みつかれたり、引っ掻かれたりしたことは数知れず。撫でたり抱っこしたりするとあからさまに鬱陶しい顔をする猫だった。呼んでも来ないし、追い掛けたら逃げる猫。それでもいつも一定の距離をあけつつも必ず人の近くで過ごす猫。そんなところもより一層愛おしい。懐いて懐いてどうしようもない猫はたくさん居てもこんなツンデレな猫もなかなか居ないのでは?と思っていた。臨終の時、父親が「ちょっと生意気だったけどな」と繰り返し言っていたのが、ミイという存在にはもう二度と会えないと痛感させられ、余計泣けた。

居ることが、当たり前だった。家に帰るとにゃあにゃあと鳴いて歩いて来たり、でも撫でようとすると逃げたり、目が合うと、名前を呼ぶと、面倒くさそうに返事をしたり、ハムマヨパンが大好きでこっそり齧っていたり、1階と2階を駆け回るひとり運動会を開催したり、ドアノブを勝手に開けて部屋に入ったり、脱衣所の扉をいつも5センチぐらい開けて覗いてくるので冬にお風呂から出るとめちゃくちゃ寒かったり、ご飯を食べているといつも鼻をくんくんさせて何を食べているかチェックしてきたり…。ミイの表情、仕草、何一つ忘れたくないよ。

私の仕事が医療関係な事もあり、コロナの関係で4月からほとんど実家に帰って居なかった。
コロナさえなければ、この言葉を何度人々は繰り返したのだろう。もうお別れが近い患者さん、コロナさえなければコロナで面会制限がなければ、もっと家族や友人と最期の時間を過ごすことが出来たのに。
誰のせいにもできないけれど、あまりにも残酷すぎませんか。

大切な存在にもう会えない、触れられないという苦しみがこれ程のものかと、痛感している。いつかまた会えますか?私がいつかあの世に行ったら、また待っていてくれますか?そんなタイプの猫じゃなく、とっとと輪廻回生しちゃいますか?
私は天国なんて無くプツンと終わりになれば良いと思っていたけど、あなたが亡くなって気づいたよ。また、天国でいいから逢いたい。抱きしめたい。天国という存在は大切な存在にまた会えるかもしれないという心の支えになるんだなあ。
何年先か明日になるか分からないけど、死ぬ時にあなたが待っていてくれると思ったら、私は怖くないような気がしているよ。でも、これからあなた以上に大切な存在とこの世で出会うのだろうか。そうしたら、私はとてもとても幸せだな。この世にもあの世にも大切な存在が居る。何も怖くないような気がする。

ミイちゃん、本当に大好きで大切で愛おしくてかけがえのない存在です。捨て猫だった小さな猫がたくさんの幸せな思い出をくれました。あまりにも幸せだったから、今がとても辛く悲しいです。ミイちゃん、ありがとう。安らかに。