ミニマリストに憧れて

私はミニマリストに憧れる、自称ミニマリストである。

 

自称というのはまあこんなもんか程度でガチミニマリストから見たら、全然大したことない、自己満足のレベルだからである。

ただ、自分がどんなことを大切にしているか?と聞かれると、物を増やさないということ!と言えるので、ミニマリストという言葉が一番しっくりくる。

 

もともとはジャニヲタだったこと、親が買い物依存的だったこと、そんなこんなで実家にはモノがあふれていた。

そんな中、まだ学生の私がゆるりまいさんの「なんにもないブログ」を読んで、ミニマリズムに目覚め、断捨離と掃除を始めた。

が、実家って途方もない。というか私が買ったもの以外もたくさんあり、もうどうにもならなかった。

憧れはありつつも、これはもう自分が家を出たときにトライしようと心に決めた。

 

そして社会人になり、ついに憧れの一人暮らし。ミニマリストデビューである。

実家を出るときに要不要を分け、とにかく捨てた。必要であろうものも、すぐには買わずに様子を見て買った。買うときはとにかく気に入ったものを買うようにした。

 

そんなこんなで徐々に自分の「城」が出来上がった。

生活のスタイルも確立してきた。

常にきれいな部屋で生活できるようになった。

何より、お風呂に入らず化粧したまま寝てしまっていた私がお風呂に入らないとベッドに横になれない性分にまで進化していた。

 

でも、なんか、もっと劇的に人生が変わると思っていたけど、そうはならなかった。

 

いろんなミニマリストの方の本やブログを読んで、断捨離をしてミニマリストになったことで人生が好転した、ということが書いてあった。

自分もそうなれると思っていた。

 

でもいつまでもネガティブで慎重で石橋は叩き割るタイプで前向きにはなれずうじうじしている。

そんなもんかぁと思いつつ、物を増やしたくないがゆえに新たな趣味や興味のあることに挑戦できなくなっているという弊害も感じ始めたのであった…。

 

つづく

 

 

ペットロス

昨日の投稿はペットロスから少し立ち直りかけていた時に書いた文章です。

それでも今読むと本当に感情的だな、と思います。悪い意味ではなく。

 

私は今まで幸福なことに大切な人間との離別体験がありません。

そのため、犬と猫とのお別れが一番の喪失体験です。

犬の時も同じようにショックでしたが、猫がいたから救わた部分がありました。

猫の時は、本当に大切なものがすべてなくなったと思いました。

 

思いの表出って結構大切なセルフケアだったんだなーと思います。

これを書いた後、だいぶ心の整理がつきました。

 

あと、こんなにつらい気持ちになるのはこれまでの日々がとても幸せだったから

それ以外のなにものでもない、この痛みこそが幸せの証拠なんだと、

ペットロス掲示板にそういったことが書かれていて何度も読み返して泣いた。

ありがとう。

願いが叶うなら、また1日、ミイと一緒に過ごしたい。
一緒に目を覚まして、ちゅーるをあげて喜ぶ猫を見て、うたた寝して、寝ている猫にちょっかいをかけて鬱陶しがられて、毛繕いをする猫や窓の外を眺める美しい猫の姿を写真に収めて、夜にはぎゅっとして迷惑そうな顔をした猫に頬をスリスリしたいな。いつもふと横を見ると、猫がいる。
そしてまた明日もこんな日が来ることを当たり前だと、疑わずに眠りたい。

私が小学4年生の時に、ミイを拾った。公園でダンボールに捨てられ、男の子に虐められていたところを友達と助けた。「なんでも買い取ります」と書いてある近所のリサイクルショップに連れて行ったが、当然「猫は買い取れないねえ」と言われてしまった。
その日は雨が降っていた。梅雨の時期だった。どうしようも無く、うちに連れて帰った。母親はこんな小さな子猫を雨の中追い返す訳にもいかないと飼うことを許してくれた。祖母が作ったねこまんまをそれはそれは美味しそうに食べた。その日のうちにゲージやご飯、全て揃えてすっかりうちの子になった。とても可愛い子猫だった。翌日には病院に連れて行き、寄生虫にやられていたようだが、薬を貰ってすぐに良くなった。それからほとんど病気知らずの元気な猫だった。20歳越えの化け猫も夢じゃないなあなんて家族で話をしていた。

小学生、中学生、高校生、大学生、社会人…ずっと一緒だった。ミイは家猫で外は怖がって一切出て行かなかったので、家の主のようになっていた。成長と共にどんどん生意気になり、最初の可愛さ100%の子猫ちゃんの面影は無くなっていた。噛みつかれたり、引っ掻かれたりしたことは数知れず。撫でたり抱っこしたりするとあからさまに鬱陶しい顔をする猫だった。呼んでも来ないし、追い掛けたら逃げる猫。それでもいつも一定の距離をあけつつも必ず人の近くで過ごす猫。そんなところもより一層愛おしい。懐いて懐いてどうしようもない猫はたくさん居てもこんなツンデレな猫もなかなか居ないのでは?と思っていた。臨終の時、父親が「ちょっと生意気だったけどな」と繰り返し言っていたのが、ミイという存在にはもう二度と会えないと痛感させられ、余計泣けた。

居ることが、当たり前だった。家に帰るとにゃあにゃあと鳴いて歩いて来たり、でも撫でようとすると逃げたり、目が合うと、名前を呼ぶと、面倒くさそうに返事をしたり、ハムマヨパンが大好きでこっそり齧っていたり、1階と2階を駆け回るひとり運動会を開催したり、ドアノブを勝手に開けて部屋に入ったり、脱衣所の扉をいつも5センチぐらい開けて覗いてくるので冬にお風呂から出るとめちゃくちゃ寒かったり、ご飯を食べているといつも鼻をくんくんさせて何を食べているかチェックしてきたり…。ミイの表情、仕草、何一つ忘れたくないよ。

私の仕事が医療関係な事もあり、コロナの関係で4月からほとんど実家に帰って居なかった。
コロナさえなければ、この言葉を何度人々は繰り返したのだろう。もうお別れが近い患者さん、コロナさえなければコロナで面会制限がなければ、もっと家族や友人と最期の時間を過ごすことが出来たのに。
誰のせいにもできないけれど、あまりにも残酷すぎませんか。

大切な存在にもう会えない、触れられないという苦しみがこれ程のものかと、痛感している。いつかまた会えますか?私がいつかあの世に行ったら、また待っていてくれますか?そんなタイプの猫じゃなく、とっとと輪廻回生しちゃいますか?
私は天国なんて無くプツンと終わりになれば良いと思っていたけど、あなたが亡くなって気づいたよ。また、天国でいいから逢いたい。抱きしめたい。天国という存在は大切な存在にまた会えるかもしれないという心の支えになるんだなあ。
何年先か明日になるか分からないけど、死ぬ時にあなたが待っていてくれると思ったら、私は怖くないような気がしているよ。でも、これからあなた以上に大切な存在とこの世で出会うのだろうか。そうしたら、私はとてもとても幸せだな。この世にもあの世にも大切な存在が居る。何も怖くないような気がする。

ミイちゃん、本当に大好きで大切で愛おしくてかけがえのない存在です。捨て猫だった小さな猫がたくさんの幸せな思い出をくれました。あまりにも幸せだったから、今がとても辛く悲しいです。ミイちゃん、ありがとう。安らかに。

 
 

はじめましてのご挨拶

はじめまして。

ブログを始めるのは15年ぶりぐらいです。

 

私が小学生~中学生にかけてのブログ全盛期にはペットブログをしていました。

子どもながらにデジカメで撮った写真をパソコンに取り込んで、加工して文字入れをして、ネットリテラシーを守りつつ、投稿しておりました。

今もパスワードをかけて残してあります。

 

その時のペットの犬と猫は亡くなりました。

猫は去年の梅雨の時期です。ちょうどコロナ渦に突入した頃でしたので、なかなか実家にいた彼女には会いに行けない中での出来事でした。

しばらくペットロスでした。

 

その時にペットロス掲示板やこういったブログで同じような苦しみを吐露されている方の言葉にとっても救われました。

その後、落ち着いたときに自分のスマホのメモに猫への思いや喪失感について書いたりして…。そうこうしているうちに徐々に立ち直ったという経緯があります。

 

せっかくなので供養の意味も込めてインターネットに残しておこうかなと思い、ブログを開設しました。

 

ほかにもコロナ渦で退屈なのでいろいろ書いていけたらいいなーと思います。

よろしくお願いします。